Go,Tokyo.
いよいよ始まる。
開催反論意見を多く聞くが、それは観客主意が多く〈選手生命〉を一切考えていないエゴイストと思う。
オリンピックは開催が約束されているものであり、それに焦点を合わせる選手が全て。
先進国ではそれぞれの競技大会、ワールドカップというような大会で名声をあげることもできるだろう。しかしオリンピックという競技大会しか参加権”が”ない途上国の選手を切り捨てている事実を”おまえ”は知らない。
◆◆◆
五輪金メダルで生涯が保証される国家もある。
64年大会で日本が手にしたメダルは、開催国ゆえのIOCの配慮である。
選手の実力の否定ではなく、努力した故に勝ち取ったそれである。時差や渡航せずに得た称号。選手は日の丸を確かに背負っていた。
◆◆◆
2016と2020大会招致活動に衛星参加していたが、選手の心は大きかった。
更に98冬季長野大会への開催準備で様々に関わったこともあり、その後の施設メンテナンスも携わった関係で、今でも提供継続している。
◆◆◆
市民の言う中止の本心は何か?
結局、自身に感染する恐怖だけじゃん。
それにも増して感染対策をする実行委員の労力。
尋常じゃないぜ。
◆◆◆
言いたいことは多くあるけど、中止と言っていた奴が
突如無観客開催とか言いはじめたもんでムカついたんだよね。
酒が絡む世界は怪しいよね。
信用しても簡単に裏切るじゃん。
人生よりも吾の主観を捻じ曲げられたから
殺したい奴の筆頭になった。
それがオチ。
Go,Tokyo.
いよいよ始まる。
開催反論意見を多く聞くが、それは観客主意が多く〈選手生命〉を一切考えていないエゴイストと思う。
オリンピックは開催が約束されているものであり、それに焦点を合わせる選手が全て。
先進国ではそれぞれの競技大会、ワールドカップというような大会で名声をあげることもできるだろう。しかしオリンピックという競技大会しか参加権”が”ない途上国の選手を切り捨てている事実を”おまえ”は知らない。
◆◆◆
五輪金メダルで生涯が保証される国家もある。
64年大会で日本が手にしたメダルは、開催国ゆえのIOCの配慮である。
選手の実力の否定ではなく、努力した故に勝ち取ったそれである。時差や渡航せずに得た称号。選手は日の丸を確かに背負っていた。
◆◆◆
2016と2020大会招致活動に衛星参加していたが、選手の心は大きかった。
更に98冬季長野大会への開催準備で様々に関わったこともあり、その後の施設メンテナンスも携わった関係で、今でも提供継続している。
◆◆◆
市民の言う中止の本心は何か?
結局、自身に感染する恐怖だけじゃん。
それにも増して感染対策をする実行委員の労力。
尋常じゃないぜ。
◆◆◆
言いたいことは多くあるけど、中止と言っていた奴が
突如無観客開催とか言いはじめたもんでムカついたんだよね。
酒が絡む世界は怪しいよね。
信用しても簡単に裏切るじゃん。
人生よりも吾の主観を捻じ曲げられたから
殺したい奴の筆頭になった。
それがオチ。
TOKYO2020は再び試金石にされた
2020年11月に関連話題を書いた。
2020年3月、聖火リレー出走直前に〈集団免疫を獲得する1年のタイムラグ〉を2008リオ閉会式の”マリオ”はIOCに提案して了承を得た。
椎名林檎氏の演出は素敵だが。
確かにワクチン無しで、米国やEU諸国の感染者と日本はケタ違いにある。
国民総保険なので最悪死亡しても恩給のシステムはないが、医療費が多額免除される場合が多い。
そしてワクチン接種も一足遅れたが全般的には急速に進んでいる。
◆◆◆
この567禍の中で、世界的にも超清潔な東京で強硬開催する意味は何か。
例えば全国あらゆる水道の蛇口をひねると出てくる上水。日本は原則的に学校含め公共の場では何もせずに飲める。駅の手洗い場の水道でさえも飲める品質なのだ。
スーパー銭湯などで「この水は飲めません」という表示が時折あるが、それは上水ではなく経費節減のため地下水くみ上げで飲用承認申請をしていないだけの話だ。
そういう清潔さと現金遺失物さえ手元に戻る社会的民意の信用度。
先進国の中で日常「チップの文化が無い」日本だからこそ「お・も・て・な・し」でき”た”のであれば、以後IOCにとって招致都市の幅が広がるという事だ。
更にTOKYO2020オリンピック・パラリンピック終了約半年後には北京で冬季五輪が開幕する。
大陸の赤い国は自国開催五輪を強引に成功させるであろう。
何故ならば世界初の夏季&冬季開催”都市”(≒首都)になるからだ。
蛇足、夏季冬季初開催会場と言えば長野県軽井沢町になる。
64東京(馬術)、98長野(カーリング)の会場となったのだ。
◆◆
大陸の赤い国はパンデミック中でも開催できると策略する。
その実績を東京大会/IOCに求めている。東京大会と違い人海戦術で可能にする。
その反面、東京で開催中にサイレントなバイオテロを実施してパンデミックさせ、北京ではより安全な大会ができますよと言うアピールをするかもしれない。
そして自ら発した細菌戦争に自ら終止符を打つような卑劣な手段を使うだろう。
例えば東京大会でばらまいたウイルスに効果のある速攻ワクチンはRPC製オンリーとか。
◆◆◆
ワクチン開発以前に漏洩したものという疑念は払拭されない。
そもそもそういう細菌を研究所で扱うという事が辻褄合わない。
この野生動物抽出細菌が何に効力を発揮するというのか。
まあ、タナボタ戦勝国の常任理事国とはいえ、発展途上国の大部分は貧しいから
民が野生動物を食さなければ腹が満たされないのはたやすく容易できるが。
戦時中の三桁数字の極秘部隊は似ている何をしたのかは追求しないけど。
蛇足だが、かつて岡山に存在したとても技術力がある化学系企業が計画倒産させられたのは勿体ないと思っている。
トレハロースで伸びた社。その研究所では後天性免疫不全症候群(≒HIV系)のウィルス研究もしていた。
しかしそういうところをdeleteするいじめが日本社会やお家騒動も含め散見されるよね。
◆
我が祖国日本は大東亜戦争(≒太平洋戦争)によってアジア諸国に侵略した事実はある(が、戦後混乱期も欧州の長い植民地支配から先住民と一緒に戦い解放/独立の補助をしたという事実もある)。
その頃の日本と全く変わらないアジア進出~世界征服を狙った『大東亜共栄圏』を、赤い大陸が『一路一帯』という名のもと現在進行形と思うんだよね。
日本は敗戦国だし無条件降伏したから不条理な条件をのみ何も言えない立場だけど、それを赤い大陸は反面教師にしているよね。
◆
その中でIOCの動きを注視している。
赤い大陸は「国民の数が多ければ米国に台頭できる」という単純な人海戦術頭脳しかないので、経済上昇の高頭脳者の集積するインドを潰せという意味からそこに変異株をばらまいたという噂は本当か嘘か。
インドは算術系のエンジニアがとても多いのだ。
◆◆◆
◆◆◆
マスコミは色々報道するが、旧組織委員会の森会長はコネクションばかりで有終の美を飾りたがり、後任の代議士辞職の五輪選手経験者は突如の就任で単なるスピーカーで本領発揮できていない。
招致に携わったトップの描いたTOKYO2020への道とその後の健康都市。
それは招致した都知事を都議会が罷免した時から絵に描いた餅になり、どれだけ都市の確保予算ではなく国家予算まで食いつぶすことができるのかと言うチキンレースになった。
グリーンモンスターは石原知事時代に蓄えた内部保留を初期に大盤振る舞い、第一波でばらまいて既に欠乏。国からの助成補助金のない唯一の都市なのでどこにも申請できない。
東京都の資金源とした新銀行東京は解体され第二地銀へ身売り。だから支援金の支給も滞る(と考える)。
まぁ東京都民が選んだボスだし、それに文句言う吾も都民もおかしな話だけどね。日本は議会制民主主義だから選挙さえ行かない民が文句言うのは言語道断。
◆◆◆
支離滅裂だが、
運営も含めてTOKYO2020の開催とその後の行方を見守りたい。
その一部始終ほとんど知っているから。全てのスタッフにメアド与えられネットワーク化された初の大会。
サーバーの設置は閉店したスーパーマーケットのワンフロアを極秘に使ったが、当時のPCはブラウン管だからよくオーバーヒートしたよね。
でも今ではいい思い出なんだ。
◆◆◆
いま、この大会を成功させなければ西側諸国として敗北に値する。
東側諸国(大陸の赤い国)は来年公式報告書に記載できない問題は誤差範囲として切捨処分するだろう。
そういうマスゴミが報道しない反面もあることを知らない人は多い。
SEPIA
イカスミの墨を使ったインク色をセピアと言うらしい。
黒と茶の間の美しい色。
モノクロの写真が色あせてきた色もセピアというと聞いた。
ペンとインクを使い、あえてセピアインクでボンドペーパー(タイピング用紙)に
恋文をしたためていた頃が懐かしい。
吾の中で一世風靡セピアという楽曲軍団はセンセーショナルであった。
渋谷公園通りで演舞しながら徐々に頭角を現しメジャーデビューをする。
バブル前夜、ズートスーツで舞う彼らに惚れたね。
そこから様々に発展していった。
吾は時代の最先端を行く彼らを追いかけた。
メジャーになってからはCDを聞くだけになったが。
だって先着順のチケットぴあでは公演チケット取れなかったから。
★★★
彼らには少し人生が重なる。
「前略、道の上より」は今でも鑑みるものである。
♫波が続くように 時の刻みもまた続く
風も吹き止まぬ 時の刻みも打ち止まぬ
やれこれと返す事のべの中で 何が生きていく 証なんだろうか♫
それはWORLD ORDERに引き継がれているというか
模倣されブラッシュアップしているのかもしれない。
★★★
代表権を持ち、業界任意団体(当時)の一分掌を持つ吾はリーマンショックを起点にあらゆるものが崩壊していった。
そしてトドメは「二番じゃいけないんでしょうか?」の業務仕分けであった。
解雇はせずと思い、時短(雇用調整助成金等の申請)を行いやるべきことを最大限にしたつもりだったが、結局は創業者の意向に沿えなく、あっけなく左遷、そして解雇。
まぁ、スムーズにM&Aできる土壌(品質9Kと環境14KのISO取得)を造った吾を評価せよと思うけど、それは金食い虫だったから言わないよ。
いま、飲食店の方々が同じ苦悩にいることはものすごく解る。
製造業がリーマンショックで苦しんだ過去と同じじゃん。
だから色々協力はしたいけどね。
看板後にふっと一息つける茶菓子を持って行くけどさ。
★★★
そしてこれ。
一世風靡セピア解散間際の上梓だったと思うんだ。
経験というものなんだろうね。
その意味/理解が今の吾の心にぴったり。
★★★
仲の良い屋号で吾を知る者は、下流の石のように丸くなったねと言う。
更に一堂に言うのは笑顔が増えたねって。
転職して大卒給与と同じリーマンでもストレス無い職場は天職かもしれない。
★★★
”どうにか こうにか 辿り着き
ここでもうひと盛り”
8 HOTEL~サウナが好きだ/後編
金曜6:00pmタイムカードを打刻して退社。帰路とは逆方向の電車に乗る。
横浜乗換、今は湘南新宿ラインもしくは上野東京ラインと案内される東海道線下りに乗車。たった30分だがグリーン車の2階席左側に座る。それが非日常と言う休暇への誘(いざな)いだ。
30分で檸檬堂ホームランサイズを平らげるけど、実質夕食。
茅ヶ崎下車徒歩5分程度でそこに到着する。
第一印象は大陸横断ハイウェー/ルート66の終点サンタモニカのモーテル。Bed&Breakfastの簡素な宿+α。
◆◆◆
とののえ親方がプロデュースするサウナがあると言うことでやってきた。
ととのえ親方はコラボレーションや持込企画、期間限定や会員制やパーソナルも多くあり取捨択一しているだろうが、統一して『窓』と解放感が特徴だ。
それは吾のイメージするリゾートと一致するのである。温度は真逆だけれど。
バブル時代のユーミンとスキーブーム。吾も香港俳優のレオン=ライ(←当時憧れ/お互いに破綻前)と同じランクル100に乗って毎週の如くスキーに行っていた。
東急や西武などの大手デベロッパーリゾートの大きなピクチャーウインドウを隔てて外気温マイナスの世界と目の前の大きなマントルピース。
背伸びして隣席の人々と深夜、慣れない濃いお酒を舐めていた。
それがリゾートの概念であった。
◇
そんな記憶が一気に甦ってきたんだ、サウナ室で。
『ここ、まぢにリゾートじゃん』
茅ヶ崎だからSoなんだけど、近隣で言えば大磯プリンスホテルや閉店した平塚のグリーンサウナなどメガキャリアとは違う、正に西海岸サンタモニカの雰囲気のサウナであった。
サンタモニカには休暇で数度行った事がある。LAXからは近いのだ。
最後に滞在したのはLAS~LAX~NRTが国内線UAの機材トラブルで遅延してNRT行きに乗れなく、一泊ステイ決定になった時。
旅の相方と共に、旅行代理店の用意した空港内高級ホテルではなくサンタモニカの宿を要求し、クラスは低いですけど?と構わず承知してタクシーを30分飛ばした。
有名モール至近のささやかなモーテルで無料延泊を楽しんだのであるが、そのホテルと似ていたのである。
B&Bのその宿。男ふたりなのでシングル二室を与えられ、街を闊歩。アバクロやホリスターを旅の最後に爆買いし、さざ波が聞こえるレストランでワインを抜栓できないスパニッシュ系の彼女にソムリエナイフのインストラクションをしたりして一夜を楽しんだ。
その時買ったダンガリーシャツやカッターシャツはお互いに今でも愛用している。
発想の転換ができるから楽しく旅ができる友なんだ。帰国便に乗れないと嘆くよりも明日には乗れるから、今夜はエキストラで楽しもうっていう感じがいいじゃん。
◆◆◆
8 HOTELの中庭には大きなプールがある。東京のフィンランド大使館と等価交換した地にかつて存在した建築家黒川紀章氏設計の六本木プリンスホテルを彷彿とさせる。
サウナはあるが水風呂は無い。だからプールなのだろうが、季節柄そこそこ冷えていてそれはそれでいい。
サウナーは水風呂の温度に対してこだわりが強く16℃では満足できずそれ以下を求める方が多い。しかしここはプールであり、閉塞された浴室ではない。サウナ室を出ればホテルの中庭で超開放的な天然風の流れる屋外なのである。
フィンランドのサウナは水風呂が無く、天然の水場(湖沼など)があるだけで外気浴を楽しむのが主流。
ここではサウナ室を出たらレインシャワーを浴びてプールにドボンできるのである。
そしてプールサイドでチル(ひとやすみ)。
レインシャワーも温度が刻々と表示されそれも面白い。
客室には使い捨てスリッパがあるが、レンタルでビーサンがあった。
サウナとプール、考えたけど迷わずレンタルした。水場に使い捨てスリッパは似合わない。
蛇足、ビーサンといえば葉山のげんべい。
今のアパレル系○げ(まるげ)を立ち上げたのは高校の同じ機械科の後輩であるN氏、超カッコいい紳士のラガーマンである。当時のビー部主将は吾と同じクラスの文武両道O氏で、生徒時代の両者は吾はよく知っている。
余談、推薦入学のB部落ちこぼれのY氏はレギュラーになれず苦労人だった。あまり仲良しではないが、機械実習など、ことある事に補助していた。
定期テストで基本科目は約束して出席番号と名前だけ無記名にして時間ぎりぎりに答案用紙を交換したこともあったかなぁ。
早弁・睡眠学習の彼にはノートのコピーも渡したけど……翻って赤点補習常連の吾。もう時効だよね、それはそれで楽しかった甘酸っぱい青春。
○げは京都の一澤帆布のような御家騒動があったかどうかは知らないが、婿養子入りしたN氏はある日突然げんべいから離脱し東京・蔵前で独立した。
∴○げはN氏の創始であるので、彼の手を離れても好きなブランドだ。
◇
8 HOTELでは宿泊プランで「飲み放題プラン」があった。お酒大好き♪なのでそれを予約。
宿泊中は全てのドリンク飲み放題。もちろんオロポ(オロナミンC+ポカリスエット)も作れるラインナップ。途中外出して駅前コンビニでつまみを調達。
まぁ相当飲んだけどマンボー(まん延防止等重点措置)発出時期なのでプールサイドでの飲酒はNGで客室でということであった。
クラフトビールはいくつかあったけど、これが好きだった。
冷たいシュワシュワするお酒が好きで、客室持込は2本までというのを守り、空き瓶をカウンターに返して追加を持って行く。もちろんビーサンで。
ジェネリックカールを二つ買ってきたけど一袋は余ってしまって、そのまま客室に残すと遺失物に化けるので、チェックアウト時にフロントの若人に「みなさんで休憩時間にどうぞ」と渡した。
でもね、チェックアウトして門を出る時「ご馳走様です。よい一日を!」と声をかけてくれた瞬間、あぁホスピタリティあふれるリゾートだなぁって感じたんだ。
◆◆◆
実はこの滞在は旅の相方には声をかけず単独行であった。
国家資格(医師)を持つ旅の相方には久しくあっていない。吾が567無症状者であるかもしれない不安からだ。
1年前はマスクや頚椎性神経根症を発病した時に鎮痛剤を送ってくれたが、やはり風来坊の吾は距離を置かざるを得ない。
◇
極論だけどサウナーの配偶者は「サウナなんて」と言う方々は多いと聞く。
この現状が落ち着いたら、ぜひ夫婦水入らずでこのホテルに宿泊してサウナを体感してほしいと思う。
ロウリュし放題だし、水着着用なので。
◇
翌土曜朝に共に楽しんだサウナ~は2組のアベック(フランス風)だった。
タオルの熱波は無かったのだが、ゆずの柑橘系オイルは爽やかだったよ。
ただ、その時2組のアベック、女性は上下セパレートのビキニ、男性はステテコ丈の水着。
吾は痴女丈の水着(≒ラガーマンの丈)で少し場違いだった。
サウナって全身に熱を浴びて発汗して水風呂に入って「ふぅ~」っていう瞬間が好きなんよ。
こういう施設だとできる限り熱を吸収したいから露出最大限の水着でGoじゃん。フィンランドビレッジではそれがスタンダードだったよ。
◆◆◆
自然発生的マニアックなサウナコミュニティからは距離を置いているが、サウナ大使が心を寄せるととのえ親方のサウナを体感して、ネクストジェネレーションに向かうサウナの方向性を少し思ったのである。
サウナから出てレインシャワー浴びて、バスローブ羽織ってガゼホにあるようなハンモックチェアでCAVAを味わえるのは素敵じゃない?
そしてアメリカンブレックファストではなくホットドッグの朝食。
サウナで発汗した後はガッツリ食べたい。その欲望を叶えてくれる朝食だった。
◇
最後に解せないのは、ととのえ親方が自らプロデュースしたサウナを自らの評価で賞を与えていること。
基準を知らないし誰がどう評価しているのか不明なので権威あるものかどうかも分からないものなのですが。
とはいえ、閉塞され息が詰まるような日常が続く中でほんの一瞬ですが開放的になれたのです。
やっぱりサウナが好きだ。
週末は何処のサウナに行こうかな。
了
サウナが好きだ~中編
2017年の夏、渋谷のラブホテル街のど真ん中にあるライブハウスでサウナを語るトークショーが初開催された。
LOFTではステージ脇の桟敷席が意外と知られていない超SS席であり、そこに座り楽しんでいた。隣に座っていた紳士はゴッドファーザーことウェルビーの米田社長であったのは驚きだ。会場でも面識のある方が多くいた。
サウナ〜が市民権を得たのはごく最近だと思う。サウナ王は普及活動に勤しんでおられ、電通の某氏やサウナジャンキー氏らが編集発行した小学館のmook「saunner」が出版されてから風向きが変わったと思う。
実はこのトークショー、協賛も凄くてサウナ招待券が大判振る舞い。入場チケット(実質)対価以上のリターンがある前代未聞のイベントであった。
翌2018年10月に三軒茶屋のスペースBPMでTABI LABOプロデュースのサウナイトが開催された。それまでの内容とは異なりフィンランド観光局(大使館)も巻き込み、それらしく最大の協賛品はフィンランド往復航空券であった。
それは仕込みのようにサウナの魅力を発信し続ける芸人マグ万平氏(その回は登壇者ではなくひとりの観客)がgetするのだが、これまでのボードメンバーのトークではなくTABI LABO社長の久志尚太郎氏(binちゃん)とTTNEの松尾太氏(ととのえ親方)が中心の確信犯的トークショーであった。
この頃はGO TO FINLANDの雰囲気が強く個人旅行される方も増え、サウナイトボードメンバーも代理店と協働しツアーを組んでいた。そういった方を中心に登壇していた。
そんな中で第二部ととのえ親方の海外サウナトークは面白かった。フィンランドのスモークサウナの後に鼻孔の奥の残り香にはハイボールが似合うと感じ、飲みたくなるがバーメニューにはハイボールがなく、でもバーボンやソーダはあるので作ってくれとバーテンダーに懇願(英語で伝えるが英語が通じない)した裏話などは面白かった。
ととのえ親方との出会いはここなのである。
実はものすごいアクティブな実業家であり尊敬する。彼の福祉分野への投資は素晴らしい。吾は失脚したが、事業主の崇高な精神は少しだけ理解できると思っている。表面的なものだけではなく事業の側面を「妄想」することは得意だ。
彼のビジネス全体を考えると吾は真似できない。趣味を実益にと言いたくはないが、それを具現化している。
サウナに入って汗かいて水風呂でクールダウン、椅子に座ってだらっと骨抜きになる。その時のリラックス状態を医学的・科学的に追究していたり。
「気持ちいい」の先を突きとめるのはいいけど、でもその結果は吾は知りたくないし謎のままでいい。それは論文を読まなければいいだけの事なのだが、学問上は解明が必要なのかもしれない。
魂の宿る肉体はそれがスーパーコンピュータのように存在する。ココロを制御し欲望を抑制する能力を行使するかしないか。それが肉体に影響する。
温泉やサウナは肉体をメンテナンスする方法の一つと思うし、それが好きなんだ。
ととのえ親方はそのための場所を数多くプロデュースしている。
しかし、ととのえ親方は様々なアイテムを販売しているのだが、これは吾が一番納得いかないし、否定するところ。
全て模倣なのである。リスペクトとは都合のいい言葉で、例えば赤枠白抜きのSupremeと同じロゴでSaunnerのTEEシャツとかを平気で販売している。
ここは"サウナイキタイ"のコミカルなかぼちゃ氏のオリジナリティに軍配があがる。
熊本、静岡、名古屋、仙台/東北、関西それぞれの地方でtwitter~LINEを中心にドメスティックコミュニティをつくりサウナネットワークを広げている方々が多いが、吾は参加しないしほとんどブロックされている異端児なのでその先は知らない。
しかしそういった方々も、ととのえ親方には異論を唱えており表面的な判断で否定している(と聞く)。
かつて都心にジャパニーズスタンダードなカプセルホテルがあった。
業績不振で閉店し居抜きで取得した企業は、アップル社に復帰したジョブズ氏がカラフルなスケルトンのiMacを発売しV字回復したその商材同様に設備を丸裸にし、本格的なフィンランド式サウナを導入し、目玉としたのである。
しかしいわゆるサウナーは何故か再生者の言う言葉尻を一言一句掴み否定に明け暮れたのである。
スポーティーなサウナを中心にしてカプセルホテルを再生させた本質を理解することなく、
水風呂が無いとかシャワーではダメとか。カリフォルニアロールは寿司と言えるか?みたいな、わけわかめの論争がオープン当初タイムラインに数日間流れていった。
そんな背景もあるが、大磯プリンスホテルにS・WAVEという高品位スパ施設が誕生し、平塚の老舗サウナが閉館と時期を同じくして隣駅の茅ヶ崎にととのえ親方がプロデュースしたおしゃれなサウナが併設されたホテルがオープンしたのである。
前者2店はドラマ「サ道」(関東ローカル)でも登場したのでご存知だろう。しかし何故か後者はカリフォルニアロール如く叩かれるどころかスルーされたのである。
567禍に開業なので仕方ないのか、評判が聞こえてこなかった。
開店と同時はヤな面も目に付くので、開業1年を目前に長期休暇を避けてそのサウナとホテルを普通の週末に体験したのである。
(続)
サウナが好きだ~前編
2012年頃から週末に遠征し始め、旅をしながら国内外様々巡っている。
当時はブーム上昇中の今とは違ってやはり昭和のおっさんの印象で、情報も薄く。
いつの頃からか肌に合う老舗大泉の3サウナ(当時)に入り浸るようになった。
スポーツ新聞広告の500円割引券を持って大泉によく行っていた。新聞購入費を差し引いても中ナマ1杯は飲めるのである(交通費別w)。
Y常務が鶯谷のサウナセンターに異動になった頃、セッティングが変わったんだろうね、常連客は様々に文句を言っていた。でも吾はY常務の感性には大賛成。だからサウナセンターには良く通った。しかし原因不明だがある日突然混雑しはじめ、吾は稲荷町に移籍した。
移籍後にオフロナイトニッポンでも紹介されて嬉しかったよ。
※サービスは現在とは異なります
それ以降、稲荷町がホームとなり毎週の如く通っていた。
浅草三社祭の神輿担ぎ手の一班がここで汗を流していたのも老舗感があって。
泥酔して辿りついて入店拒否されたり、夏に暑くて知らぬ間に全裸で寝ていて凄い剣幕で起こされ怒られたり、トラブルに巻き込まれ警察沙汰になり蔵前署(至近の上野署の管轄ではない)に行った事もあった。
当時~現在は諸般の事情で居住地に近い所での飲食や遊びは避けていた。
特に「接待を伴う飲食店」のおねいさんネットワーク(店舗移籍が多く情報漏洩が顕著)≒商工会青年部が緊密で、勘当に近い父親に吾の行動を把握されるのを避け、極力姿を消した。
ゆえに山手線沿線サウナを目指し越境して発汗ベースに飲酒と火遊びをするのである。

SNSを中心に細やかに発信していた方々は多く居られたのだが、電通勤務のサウナーの呼び掛けで編集・上梓された小学館MOOK「SAUNNER」とそのオンラインサウナサミット(J-WAVEのDJ TAROも紹介)後に風向きが変わりはじめた。
実はこの方の低声質が凄く好きで印象強いのである。今のブームでこれを知る人はどれほどいるのだろうか???とは問わないが。
ムックには濡れ頭巾ちゃん氏、サウナ王氏、原山壮太氏などそうそうたるメンバーが座談会をし、フィンランド大使館のサウナに入泉して締めくくるのである。
ちなみにこのムックは2021年6月にSAUNNER+(プラス)として第2号が小学館より上梓される。
この頃から「都会に生きる高感度エキスパート(バブル時代のコピー風)」の人に徐々にサウナが浸透し始めた。前述ムックにはいまIT業界を牽引するZ(HLDGS)社の川邊健太郎氏も登場しているのだ。
それはいま連載されているモーニング誌の「サ道」のエピソードと似ている。
そして上場企業が集積する新橋のAもブームを牽引したのは間違いないし、K社が中心となったサウナ部アライアンス→→→ドーミーインのサウナ付大浴場建設に繋がると勝手に妄想。
上には上がいるもので、プロサウナー持込企画のサウナサミット(前述とは異なるイベント/吾は主宰者からブロックされている)と、コアマニアに募集したサウナフェス(小海町)。そしてトークイベント「サウナイト」開催以降爆発的にサウナがブームとなった。


それ以降、一企業体としてSNS的検索サイトをローンチしたり、テントサウナの日本輸入総代理店が誕生したのはセンセーショナルなムーブメントで、極初期に「サ道」という一冊の本を上梓したことをきっかけに唯一のサウナ大使となった方の種付けがいまのブームとなり、SNS(特にtwitter)ネットワークを活用して成長しているのだと感じている。
TV情報番組のSNSに頼るネタ集めから膨らんだ一面もあると思いますけど(←否定するな)。
マウントを取る気はさらさら無いが、いちファンとして残しておきたいことはありまして。
プールへ直ドボン可能だった名古屋金山、ローストされた赤羽錦城、某A✖言問、男色家御用達上野、テンガ提供ビデボ化で朝は超混雑上野ダンディ、東急は何故撤退した東泉、某A✖飛鳥ホテル、某A✖のイメージベースとなったサービス提供難波ニュージャパン上層階、歌舞伎町ビバークのフィンランド(後継こりこり)、同グリーンプラザ、定期借地権が憎い相模健康センタ、567禍が憎い岐阜ガント、同相模原JNファミリー、耐震構造が悲しい徳島ファミリー、同六本木VIVI(元は高級会員制だった)、タイムズスパにはならなかった伊勢佐木町ニュージャパンなど、好きなところは沢山あったが業界新陳代謝の一部と考えている。
四国遍路中、屈託のない笑顔の「歩いてサウナ」の方と徳島ファミリーで朝入泉中の水風呂でばったり会った時は驚いたね。
浅いけどプールのような広い水風呂、サウナ室は平面に近く一面に敷き詰められたサウナマット。館内着として与えられるのはバスローブ。検索サイトのコメントで嘲笑する人は多いが、バスローブって丁寧に体を拭くことなくそのまま羽織って休めるじゃん。そういう贅沢さ。どこかに書いたな「バブルよ、もう一度」みたいなコピーを。
そして遍路中に見つけた昭和なサウナを検索サイトに登録したのだが、案外HITしているようで。
瀬戸内は釜風呂が伝統的な地であり、唯一残る讃岐の「塚原からふろ」は今でもあるのだろうか。遍路結願後に入りに行った(87~88番札所に近い)が、誰かが火葬感が味わえるほどの熱さと表現していた。
閉店の便りが多く続く中で参加した幾つか目のトークイベント「サウナイト」。
それまで渋谷や新宿のロフトで開催されていたが、TABI LABOが招聘して自ら場所を提供してフィンランド観光局(大使館)まで巻き込んだ異色のイベントが、北風小僧の寒太郎がやって着た頃に開催された。
(続)