サウナが好きだ~前編

2012年頃から週末に遠征し始め、旅をしながら国内外様々巡っている。
当時はブーム上昇中の今とは違ってやはり昭和のおっさんの印象で、情報も薄く。

いつの頃からか肌に合う老舗大泉の3サウナ(当時)に入り浸るようになった。
スポーツ新聞広告の500円割引券を持って大泉によく行っていた。新聞購入費を差し引いても中ナマ1杯は飲めるのである(交通費別w)。
Y常務が鶯谷のサウナセンターに異動になった頃、セッティングが変わったんだろうね、常連客は様々に文句を言っていた。でも吾はY常務の感性には大賛成。だからサウナセンターには良く通った。しかし原因不明だがある日突然混雑しはじめ、吾は稲荷町に移籍した。
移籍後にオフロナイトニッポンでも紹介されて嬉しかったよ。

 

youtu.be

※サービスは現在とは異なります

それ以降、稲荷町がホームとなり毎週の如く通っていた。
浅草三社祭の神輿担ぎ手の一班がここで汗を流していたのも老舗感があって。
泥酔して辿りついて入店拒否されたり、夏に暑くて知らぬ間に全裸で寝ていて凄い剣幕で起こされ怒られたり、トラブルに巻き込まれ警察沙汰になり蔵前署(至近の上野署の管轄ではない)に行った事もあった。

当時~現在は諸般の事情で居住地に近い所での飲食や遊びは避けていた。
特に「接待を伴う飲食店」のおねいさんネットワーク(店舗移籍が多く情報漏洩が顕著)≒商工会青年部が緊密で、勘当に近い父親に吾の行動を把握されるのを避け、極力姿を消した。
ゆえに山手線沿線サウナを目指し越境して発汗ベースに飲酒と火遊びをするのである。

f:id:furaibo72:20210613230841j:image
f:id:furaibo72:20210613231244j:image

SNSを中心に細やかに発信していた方々は多く居られたのだが、電通勤務のサウナーの呼び掛けで編集・上梓された小学館MOOK「SAUNNER」とそのオンラインサウナサミット(J-WAVEのDJ TAROも紹介)後に風向きが変わりはじめた。

youtu.be

実はこの方の低声質が凄く好きで印象強いのである。今のブームでこれを知る人はどれほどいるのだろうか???とは問わないが。
ムックには濡れ頭巾ちゃん氏、サウナ王氏、原山壮太氏などそうそうたるメンバーが座談会をし、フィンランド大使館のサウナに入泉して締めくくるのである。
ちなみにこのムックは2021年6月にSAUNNER+(プラス)として第2号が小学館より上梓される。

この頃から「都会に生きる高感度エキスパート(バブル時代のコピー風)」の人に徐々にサウナが浸透し始めた。前述ムックにはいまIT業界を牽引するZ(HLDGS)社の川邊健太郎氏も登場しているのだ。
それはいま連載されているモーニング誌の「サ道」のエピソードと似ている。
そして上場企業が集積する新橋のAもブームを牽引したのは間違いないし、K社が中心となったサウナ部アライアンス→→→ドーミーインのサウナ付大浴場建設に繋がると勝手に妄想。

上には上がいるもので、プロサウナー持込企画のサウナサミット(前述とは異なるイベント/吾は主宰者からブロックされている)と、コアマニアに募集したサウナフェス(小海町)。そしてトークイベント「サウナイト」開催以降爆発的にサウナがブームとなった。
f:id:furaibo72:20210613231155j:image

f:id:furaibo72:20210613231200j:image
それ以降、一企業体としてSNS的検索サイトをローンチしたり、テントサウナの日本輸入総代理店が誕生したのはセンセーショナルなムーブメントで、極初期に「サ道」という一冊の本を上梓したことをきっかけに唯一のサウナ大使となった方の種付けがいまのブームとなり、SNS(特にtwitter)ネットワークを活用して成長しているのだと感じている。
TV情報番組のSNSに頼るネタ集めから膨らんだ一面もあると思いますけど(←否定するな)。

マウントを取る気はさらさら無いが、いちファンとして残しておきたいことはありまして。
プールへ直ドボン可能だった名古屋金山、ローストされた赤羽錦城、某A✖言問、男色家御用達上野、テンガ提供ビデボ化で朝は超混雑上野ダンディ、東急は何故撤退した東泉、某A✖飛鳥ホテル、某A✖のイメージベースとなったサービス提供難波ニュージャパン上層階、歌舞伎町ビバークフィンランド(後継こりこり)、同グリーンプラザ、定期借地権が憎い相模健康センタ、567禍が憎い岐阜ガント、同相模原JNファミリー、耐震構造が悲しい徳島ファミリー、同六本木VIVI(元は高級会員制だった)、タイムズスパにはならなかった伊勢佐木町ニュージャパンなど、好きなところは沢山あったが業界新陳代謝の一部と考えている。

 

四国遍路中、屈託のない笑顔の「歩いてサウナ」の方と徳島ファミリーで朝入泉中の水風呂でばったり会った時は驚いたね。
浅いけどプールのような広い水風呂、サウナ室は平面に近く一面に敷き詰められたサウナマット。館内着として与えられるのはバスローブ。検索サイトのコメントで嘲笑する人は多いが、バスローブって丁寧に体を拭くことなくそのまま羽織って休めるじゃん。そういう贅沢さ。どこかに書いたな「バブルよ、もう一度」みたいなコピーを。

f:id:furaibo72:20210613231318j:image

そして遍路中に見つけた昭和なサウナを検索サイトに登録したのだが、案外HITしているようで。

f:id:furaibo72:20210613231324j:image
瀬戸内は釜風呂が伝統的な地であり、唯一残る讃岐の「塚原からふろ」は今でもあるのだろうか。遍路結願後に入りに行った(87~88番札所に近い)が、誰かが火葬感が味わえるほどの熱さと表現していた。
閉店の便りが多く続く中で参加した幾つか目のトークイベント「サウナイト」。
それまで渋谷や新宿のロフトで開催されていたが、TABI LABOが招聘して自ら場所を提供してフィンランド観光局(大使館)まで巻き込んだ異色のイベントが、北風小僧の寒太郎がやって着た頃に開催された。

(続)