旅に出る理由

シリコンバレー周囲(吾はサンタクララ)の暮らしはもう賭博同然で(言うほど長くはなく依願離脱した)。
バブルを経験した肩パット入りスーツなんて意味をなさず、ドレスダウンがトレンドのなか、西部を連想するジーンズはそれ以降纏っていない。
年中チノ(パン)で過ごす。そしてそれはアウトドアブランドへ遷移していった。
衣類で言えばエディーバウアーとティンバーランド、吾は後者なのだがその意味を解る方は一献したいよね。

あの頃は洗いざらしで着る前提のボタンダウンダンガリーシャツ(やけに厚手と店員に問うがウェルディング(溶接)作業服に準ずるヘヴィーな生地らしい)に薄く糊をきかせ、胸ポケットのそこにはMont Blancのボールペンを入れていた。スニーカーとヨレヨレのチノだけど、ネクタイを締めればとりあえずOKな装い、それが意地だった。
契約の時は黒ではない青みの強いインク(ブルーブラック)の万年筆を使った。だって、日本人だもの。かち色は後にサムライジャパンで知られたけど。
イエローモンキーだよね。

後に姉は誕生日にモンブランの新作のボールペンを贈ってくれた。それは帰国後に与信剥奪され登場の機会はないが。

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UCLAとUCバークレー、日本とは比較したくないが高度なのは解るでしょ?

カリフォルニア(州立)大学のロサンゼルス校とバークレー校。

その対極にあるのは故スティーブ=ジョブズのスピーチで有名なスタンフォード大学(私立)。


競争社会を早々に離脱してとりあえず履歴書は書ける人生は経験した。
その後社会の底辺をマジにテクニックだけで必死に生きてきた敗戦国民の吾に浴びせられた学生の質問って何だと思う?
吾は流暢な英会話なんてできない民(を前提に♪)。

研究テーマなんてそっちのけで日本文化の謎なんだよね。
そのカルチャーショック。

ロンリープラネットにない情報を求められた。
ミシュラン(グリーンの方!)にない情報はないのかと。

みんな日本に興味を持っていたんですね。

その時に吾は日本について何一つ話せなかった。それが悔しくて、話せないという事ではなくネタを持っていないという事実。

ネタといえばそうなのだが、祖国日本について自信をもって語ることのできない無知さを自覚した。

 

帰国後は一之宮神社巡礼が最初の発心で、全国の神社巡礼に広げ、四国遍路も体験した。

神社仏閣を知るとその土地を理解できるんですね。産業や流通など。そして広義で言う禁足地の怖さ。

欧州は町の真ん中に教会を作り街が発展してゆく。しかし日本は自然崇拝なので俯瞰できるところに神社があり、仏教伝来でそれと融合してゆく。

 

北半球の主要都市はほぼ観光で行った。アジアは仕事絡みが多かったけど。その時は必死にその地を勉強する。

しかし日本については一切学んでいなかったのだ。

 

先生たちの組合はとてもひどく、社会科の歴史でも明治維新で終了。現代史を学んだことが無い。必修となった初年度の世界史も極端でルネッサンス以降WW1まで。

一番大切な現代史を教育せず、そのくせ「教え子を再び戦場へ送るな」とかほざく。そのギャップが吾の人生の一部分を苦しめた。

 

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スマートフォンが普及した現在は情報は手軽にタダで手にすることができる。

しかし吾がガキの頃は情報は買う時代で、映画見るならぴあ、バイトするならanかフロムエー、海外旅行ならブランカかABロードとかを最初に買ったものだ。

そんな時代だから学生が生の情報を求めていたのも数年経った後に理解するのだが(それはアメリカでも同じことであった)、旅行雑誌や旅行ガイドを読んで旅に出ても、吾の場合は感動が無いという事に同じ頃気づく。

旅行ガイドは地図や公共交通手段の案内だけでいい。熱心にるるぶなんて読まなくなったし、どうせ買うなら地図が充実しているまっぷるを買うし。

長期休暇の時には地図にお参りする社寺仏閣を記しルートを決める。あとは行きあたりばっ旅。その地に行けば観光名所は案内してくれるものなので。